奈良と京都
どうしてもある仏像さんにお会いしたくなり、突如奈良へ行きました。和辻さんの「古寺巡礼」を読みながら奈良行き新幹線に飛び乗りました。しかし、訪れた寺や仏像は皆本とは一切関係ない所になりました。
興福寺の阿修羅像で「誰でも迷いはある」、戒壇院の広目天像に対面して「知は武器」、山田寺仏頭に「平和」を感じました。山の中を歩き回り意図せぬお店や、神社に美しさを感じながら頭まで貫く寒さの中、室生寺に向かいました。人がいなく、川の流れ、お香の匂い、寒さの中の凛とした安堵感、小さいのに存在感のある五重塔。観光シーズンから外れているため、人がいなく、バスも二時間に一本。お寺の方々が細かく説明してくださり、寒くとも人の暖かさを感じました。
昔の人々は寒くても不便でもそれでも、お参りや修行を行い生きぬいたんだとお堂で想像しながら、静けさを味わってきました。深々と身体に寒さが響く中、じっくりその静けさを堪能しました。
京都では、青蓮院を訪れました。庭を見ながら考えたこと。イタリア、フランスなどヨーロッパの芸術は絵も彫刻も盛りだくさんに詰まっている。日本は、余白があり、空間を意図的に取っているから見る人にとって想像する余地がある芸術だと思う。庭の石の置き方、木の配置、また絵画、書も余白がある。日本語も本音を語らず「察する」ことに重要な意味が含まれている。また、日本の魅力に気がつきたった二日の駆け足滞在でしたが、時間を越えてずいぶん長い旅をしたように思いました。
月曜からウィーンに行きます。日本の浮世絵や兜がアールヌーボーを生んだといわれています。ウィーンで日本再発見の旅を楽しみながら、いろいろ考えてみたいと思います。
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- 奈良と京都(2007.03.17)
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