病院の毎日
救急救命センター、ベッドから起き上がれない方、コミュニケーションができない状況、ひとの臭い、汚物の臭い、MRSAなど感染症、手袋、エプロン、マスクをつけて午前中は指導者の先生につき、ベッドサイドでリハビリします。低酸素脳症、人工呼吸器装着、クモ膜下で髄膜炎…本で読んだり、文献でで見たりしたような気もするがよくわからない、そんな現実と学んできたことが一致しなくて、全身状態がまるでわからない。この人に何をすべきか呆然としてしまい、指導者の先生には「難しいこときいていない。どうする?」簡単な質問にも答えられず、生理学的要素(呼吸、循環など)「おおざっぱにしか覚えてないね、勉強したの?わすれちゃうの?」と毎日悲劇的な馬鹿さ丸出し。
でも、今目の前には患者さんがいて、なんとかしないと「車椅子移動も全介助」の場合、移動もさせられない。血やその場で行う簡単な処理程度の軽い縫合など見る分には抵抗はとくにないのですが、臭いに吐き気が込みあげてきたり、感染者に対する扱い方に不安で腰がひけている自分がいるのも事実。なぜか、「さかむげ」がこの時期出てきてさらに怖くなったり。
聴診器で音を聞いて肺の状態を・・・なんてよくわからず、先生には呆れられ、浮腫や呼吸状態から全身状態を把握できない私は本当に情けない。学校でやってないとか言い訳。何か読んだことある程度で実習来てしまい、習ったことも身についてない。(何で試験は点数が良かったの??結局使い物にならない自分)そのつどそのつど覚えるしかない。怒られても怒られても患者さんにご迷惑だけはなるべくかけず行うしかない。患者さんに今のレベルでできることを正直に全力で行うしかない。
そう思っていていも先生からは「もっと患者さんを大切にして。」「周りがみえてない。熱中している」といわれ、とても悲しくなる。そうだ道具も片づけなきゃならないとかでほったらかしにしているときもある。時間も見てなくひたすら検査してしまうなど、最悪です。
頚髄損傷で大きな損傷を負い四肢麻痺となった方、意思疎通がほぼできない状態の方、・・・さまざまです。でも現実。小さなベッドの中でもう五才の彼女。五年間意識はありません、人工呼吸器があるから生きている。
感じるとかそんなこと、いってはいられない。もう感覚もないから。もちろん骨折された方にはセッションで皆さまと行うようなメニューで身体使っています。どうでしょうか、本人のみぞ知ることになるのだと思う。今後生きる上での身体の感じ方が変わるようにと思いますが、何事も本人の意欲の問題。そして、この二週間、「座るぞ」「歩けるようになるぞ!」と強く想い、こつこつ練習を行う人ほど、回復するスピードど回復レベルが違うこと。意欲と意識。これは何もまして必要なことだと思う。そういう姿勢は患者さんから学びます。
先生は意識するなんて疲れるというけど。それは自分の決まりパターンの動きを変えないと負担になるならやっぱり自分でそうしないように意識しないと変わらない。というかちょこっと発想変えるだけで変わるのに、その発想を楽しめるか楽しめないかも人によってさまざま。私の先生はとてもパワーのある素晴らしい方ですが、ついた私がこんなんで本当がっかりのはず。馬鹿さを丸出しの毎日ですが、食らいつくしかない。
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